プロフィール
「松下のきのこ」として、ハナビラタケ一筋に歩む。
1970年、長野県飯田市出身。大学卒業後は都会への憧れもあり、地元の建設関係の企業に就職し群馬県へ赴任しました。
5年間のサラリーマン生活の後
父が指定難病である「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」を発症したことでUターンを決意し、家業である「きのこや松下」の二代目となりました。環境も仕事も一変する中、幼い子どもたちを連れてついてきてくれた妻には、今も感謝しかありません。
当時のきのこ栽培は、えのきたけなどの大量生産・単価安が主流でした。小規模な家族経営では将来への不安が拭えない日々が続いていました。
その時に出会ったのが、「ハナビラタケ」でした。
1000m以上の高地で、カラマツ(松)の根元に自生する幻のきのこ。「松下の名字を持つ自分が、松の根元に育つこのきのこで日本一を目指そう!」と運命を直感し、2007年から本格的に栽培を開始しました。
しかし、その道のりは決して平坦ではありませんでした。
「どうせ失敗する」という声を乗り越えて
栽培方法が確立されておらず、周囲の生産者から「そのきのこ、本当に売れるの?」「どうせ失敗するだろう」という冷ややかな声も聞こえてきました。
人手が足りず、妻と二人で夜なべをして包装作業をする日々。「絶対にここから這い上がる」という想いだけが支えでした。
危機は何度も訪れました。洞窟栽培への挑戦では失敗し債務超過に陥りました。さらに、より良い品質を求めて菌株を変更した際には、生産が安定せず大赤字を出し、幾度も廃業の危機に直面しました。
「もう廃業するしかない……」
そう覚悟を決めた時、私を救ってくれたのは、周囲の方々の言葉でした。
「社長、ここでやめては駄目ですよ!」
「求められているうちは、商売はなくなりません」
その言葉に背中を押され、私はもう一度一からやり直す決意を固めました。
3,000〜4,000もの菌株を扱うハナビラタケ研究第一人者の福島先生の指導のもと、先生が所有する菌株から選び抜いた優良な野生種系統の菌株の使用許可をいただき、種菌の製造から販売までを自社で一貫して行える体制を築き上げました。
ハナビラタケを通じて「美味しかった」とか「体調が変わった」という声が全国から届きます。
つくる人が誇りを持てて、 食べる人が笑顔になる。
その循環の中で、 自分自身も、家族も、きちんと豊かになっていく。
日本一のハナビラタケ生産者。 量だけでなく、姿勢や積み重ねも含めて 「ここが一番だ」と言ってもらえる存在を目指して、日々、全国の方がたにハナビラタケをお届けしています。
「今日もありがとう」。きのこへの声かけが品質を支える
私の仕事の根底にあるのは、建設業時代の現場で職人さんたちから学んだ「職人魂」です。見えない部分の工程ほど丁寧に行うこと、そして徹底した「観察」を何より大切にしています。
ハナビラタケは非常にデリケートな生き物です。私は毎日、きのこに「元気になってね」「今日もありがとう」と声をかけながら作業をしています。一見非効率かもしれませんが、そうして立ち止まり、我が子のように成長を見守ることこそが、小さな変化に気づき、品質を支える唯一の道だと確信しています。
「食べるお守り」として、嘘のない商品を。
私たちの商品は、健康に不安を感じ、藁にもすがる思いで探されている方が手に取るものです。だからこそ、大げさな効果をアピールしたり、不安を煽ったりすることは一切しません。
作り手の顔が見え、嘘のない情報を伝えること。
「食べるお守り」として、お客様の毎日を内側から支えること。
「今日は穏やかだ」と感じる日が、一日でも多く積み重なっていく社会を目指して、これからも実直にきのこと向き合い続けます。
モットー・ビジョン
「今日は穏やかだ」と思える日が、当たり前にある社会へ。
体が整っていれば、人はもっと前を向いて、自分の人生を選べる。私は自身の家族の経験からも、そう強く信じています。
不調によってやりたいことを諦めたり、家族との時間を楽しめなかったりするのではなく、ハナビラタケを通じて腸や体の内側と向き合うきっかけを届けたい。
「今日は穏やかだ」と感じる日が、一日でも多く積み重なっていく。
そんな温かな社会の実現に貢献することが、私の願いです。
趣味・プライベート
休日は趣味である神社巡りをして心を整えています。
また、7年以上続けているボーイズリーグ(中学硬式野球)の審判も務めています。