えのき農家の息子として
昭和45年、長野県飯田市。南信州の自然豊かな土地で、私は農家の家に生まれました。昭和50年の冬、先代の父がえのきたけの栽培を始めています。田んぼの一角に小さな生育室を建て、温かい光を灯しながらのスタートでした。家族の未来を照らすその光の中で、私はきのこ栽培を見ながら育ちました。
高校生くらいから「信州を出たい」という思いが強くなり、大学進学を機に群馬へ。学生時代に妻の淑子と出会い、卒業後は建設関係の企業に就職しました。現場では板金職人さんたちと密にやり取りをする日々。「下準備を疎かにしない」「見えない部分ほど丁寧に仕上げる」。職人として当たり前に行われていたその考え方が、今の培地づくりや環境管理の原点になっています。
父の病、そして信州へ
会社員5年目のとき、父が「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」と診断されました。進行性の病気で、これから先、家族の支えが必要になる。長男として、その現実から目を背けることはできませんでした。妻にも不満はあったと思います。環境も仕事も一変する中で、それでも一緒に信州へ戻る選択をしてくれた。その覚悟には、今も感謝しかありません。
えのき栽培の限界
平成9年、妻と子ども2人を連れて飯田へ。えのきたけの事業に従事することになりました。しかし、えのき栽培の世界には大量生産の波が押し寄せていました。全国の生産量が増え続け、単価は下がる一方。品質を上げても、産直所に出しても、売上は減り続けました。家族を養うことすらできないのか。4人目の子どもも授かり、不安ばかりが大きくなる日々でした。
はなびらたけとの出会い
えのき一本では行き詰まる。他のきのこを作れないか模索していたとき、近所のきのこ生産者が「はなびらたけ」というきのこを栽培しているという話を耳にしました。
見学に行って、初めてはなびらたけを目にしたときの衝撃は忘れられません。白く美しい珊瑚のような姿。栄養価の高さ。それまで作ってきたきのことは、まったく違うものでした。
そして生態を聞いて、ひらめいたのです。はなびらたけは、標高1,000m以上のカラマツ林──つまり「松の木の下」に自生するきのこ。これは「松下のきのこ」だ、と。このきのこで日本一を目指そう。人生で初めて、自分のビジョンを掲げることができた瞬間でした。
えのき生産者からは「そのきのこ本当に売れるの?」「どうせ失敗するだろう」と好奇の目で見られましたが、絶対にこの状況を打破するんだと、気持ちだけは希望に満ちていました。平成19年、はなびらたけの栽培を開始。同年に法人化も果たしました。
雑菌との戦い

しかし、「幻のきのこ」の栽培は甘くありませんでした。はなびらたけの菌糸はカビより成長が遅く、わずかな雑菌の混入で全滅してしまいます。仕込んだロットがすべてダメになったこともありました。販路も少量からのスタートで、せっかく取引が始まっても安定供給ができない。妻と二人、夜なべで包装作業をした日は数え切れません。
3年目、思い切ってえのきの生産をやめ、はなびらたけ一本に絞りました。設備を更新し、培養施設を整えたことで、ようやく栽培が安定し始めました。
挑戦と挫折を繰り返して
認知度が少しずつ広がり、秋のきのこシーズンには需要に応えきれない状況も生まれました。もっと生産量を増やしたい。その一心で、平成26年、三重県松阪市の洞窟での栽培に挑戦しました。洞窟内は温度19度、湿度85%という理想的な環境。見事なはなびらたけが育ちました。しかし、片道4時間の移動と物流コストが経営を圧迫し、半年で撤退。大きな赤字を抱えることになりました。
やってもやっても終わらない仕事と、積み重なる経費。疲労困憊の中、知り合いのツテでECの勉強を半年間学び、通販事業に踏み出す決意をしました。金融機関からは「本当に通販で売れるのですか?」と問われましたが、「やるしかないのです」と答えるしかありませんでした。
平成27年にインターネット通販を開始。翌年には乾燥粉末加工品の販売も始め、少しずつ遠くのお客様にも届けられるようになりました。
廃業の危機、そして再起
しかし令和元年、品種変更に伴い生産環境が対応できず、大幅な減収。どんなに仕込んでも思うように育たないはなびらたけ。お客様に頭を下げ、減産の謝罪ばかりの日々。このときばかりは、本当に廃業を決断しました。
それでも、周囲の方々が支えてくれました。「社長、まだまだここでやめては駄目ですよ」と励ましてくれた顧問会計の先生。「求められているうちは商売がなくなることはないですよ」と話を聞いてくれた方。もう一度、すべてを一からやり直そうと踏ん張りました。
令和2年からは野生種由来の品種を導入し、培地組成をゼロから見直し。クリーンベンチを導入して種菌製造から製品販売まで一貫生産を開始しました。コロナ禍で外食向け販売が難しい中でも、乾燥加工品の通販が少しずつ上向きになっていきました。
作る人も、食べる人も、幸せになれるきのこ作り

はなびらたけの栽培を始めて19年。洞窟栽培の撤退、品種変更による大幅減収、廃業の危機。何度も立ち上がれないと思った瞬間がありました。それでも続けてこられたのは、「あなたなら大丈夫」と励ましてくれる妻と、支えてくれた多くの方々のおかげです。
毎日、栽培舎に入り、はなびらたけの色、張り、菌の回り方を観察します。数字だけに頼らず、自分の目と感覚で確かめる。「元気になってね」「今日もありがとう」と声をかけながら。非効率に見えるかもしれませんが、立ち止まってきのこの状態に意識を向け直す、大切な時間です。
作る人も、食べる人も、幸せになれるきのこ作り。はなびらたけを全国に届け、健康と笑顔を届けたい。その思いは、19年前にはなびらたけと出会ったあの日から、何一つ変わっていません。